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6月の初旬、マダガスカルの首都アンタナナリボからバスを乗り継ぎ12時間後にたどり着いた、コーヒーがたくさん育つアンジュマンチャラ村で目覚めた朝、ふと自分がなぜここに居るのかを考えました。なぜ日本で生まれ育った自分が、オーストラリアへワーホリに行き、東ティモールで就職し、フランスでMBAを取得し、オランダと日本で起業し、そしてマダガスカルへ来ているのか、と。なぜ日本で企業に就職するでもなく、日本で自然災害や貧困に苦しむ方々の支援をするわけでもなく、縁もゆかりもない途上国の人々の生活を向上するために、リスクを取るのだろう、と。

私が、自分の人生を他者のため、特に開発途上国の方々のために使おうと決心したのは、今思い返してみれば高校3年生の時であったと思います。
母の影響で、思春期にやんちゃはしたものの、基本的には、他者の幸せを願ったり、困っている人を助けることなどは日常的に行っていました。しかし、高校卒業間近にタイへ行った際に生まれて初めて、今にも壊れそうな家に住む方々や、片足を失った方が路上でお金を乞う姿を見て、彼らのために自分ができることが何もないことに愕然としました。

東ティモールとの出会い

それから3年後の2010年。
創価大学に進学し大学3年生になった私は、眉ピアスをして髪を結った出で立ちで、東ティモールに居ました。
大学を休学しオーストラリアへワーキングホリデーに行き、働いていたジャパレスから労使交渉の末勝ち取ったキャッシュを元手に、東南アジアをバックパック旅行していました。そして、「誰も行ったことが無い国に行きたい」という安易な思いから、そしてオーストラリアで見たドキュメンタリーの影響もあり、東ティモールに滞在することを決めたのです。

当時の東ティモールは、2002年に独立してから治安が不安定な状態が続いており、国連軍や国連警察が駐屯しており、街中にUNと書かれたステッカーが貼られた車両が走っていました。
紛争時に焼かれた建物が至る所に残っていて、この国でたった8年前にどの様な惨劇が起こっていたかを想像すると、身の毛がよだつ思いでした。

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東ティモールは他に訪れた東南アジアに比べ、経済発展が断然遅れており、人々も非常に貧しい暮らしをしていました。2週間ほどの滞在中に、たくさんの方々と対話し、たくさんの場所を訪れる中で、ただの直感でしかなかったのですが、なぜかこの国に自分のミッションがあるような気がし始めました。そして、日本へ帰り復学する頃には、大学を卒業したら、絶対に東ティモールで就職をしたいと強く決心していました。

東ティモールで就職!

大学の同期の友人たちが内定をもらっている中、今考えれば本当に無謀なやり方ではありましたが、私は毎日、JICAのPARTNERで「東ティモール」とキーワードを打ち、求人が出ていないかを探していました。そして2012年3月のある日、フェアトレードコーヒー事業をリードする、東ティモール駐在員を募集する求人を見つけたのです。この求人を見た時、絶対に自分は仕事のオファーを頂けると、まったく根拠はない、でも揺るぎない自信がありました。そして、無事に内定を頂き、4月末には東ティモールに駐在することになりました。2012年4月から約4年、ほとんどの時間を東ティモールで過ごしたというよりは生きた、という方がしっくりくるほどに、現地に腰を据えて仕事をしました。

しかし、救世主になると意気揚々と駐在生活を始めた私の想いとは裏腹に、信頼していたスタッフから訴訟を起こされたり、1000万円相当のコーヒーが入ったコンテナを運ぶ途中にマチェーテを持ったギャング集団に囲まれたり、強盗が入ったり、東ティモールでの日々は本当に苦労の連続でした。しかし同時に、やりがいを感じる日々でもありました。とても貧しかった東ティモールの農村地域に住むコーヒー農家の方々が、コーヒーの品質を向上させ、私たちが海外へ彼らのコーヒーを売り込み、ブランドストーリーを作ることでさらに付加価値を高め、コーヒー農家へより高い対価を支払うことで、約700世帯のコーヒー農家の生活向上を実現できたことは、今でも誇りに思っています。これらを25歳までに経験できたことは、今では非常に大きなアセットになっていると感じます。

東ティモールでの出来事で皆さんとシェアしたいことはたくさんあるので、今後このブログで書いていきますね。

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MBA、そして起業

さて、フェアトレードコーヒーの事業はNGOが行っていた事業とは言え、サプライヤー(貧しいコーヒー農家)から原材料を仕入れ、私たちは加工し、顧客を探し、販売することで収入を得る、まさに一般的なビジネスそのものでした。

これまでほとんどビジネスについて無知であった私は、デロイトのコンサルタントの方と出会った際に、これまで自分がいかに何も理解せずに事業を経営してきたかに気付き、そしてビジネスについてある程度の知識が無ければ、経済的に持続可能なソーシャルビジネスを経営することはできないと痛感しました。次第に、経営についてアカデミックなアプローチから勉強してみたいという想いが強くなり、2016年の夏に、フランスのEDHEC Business Schoolに入学しました。

何故フランスだったのかというと、自分の今後のベースをヨーロッパとアフリカに置くための第一歩になるのではないかという期待と、フランス語を習得する目的があったためです。

約10カ月間のMBAでは、あまりにたくさんのことが起こりました。これらもまたブログで皆さんと共有させて頂きたいのですが、今特筆すべき点は、MBA在学中にできたたくさんの優秀な仲間、マダガスカルとトーゴを訪問した際に作れた人脈、そしてマイクロ保険について研鑽を重ねた日々、だと言えます。

MBAを修了してすぐの2017年8月に、MBAの仲間で、日頃から夢を語り合っていたバングラデシュ人のバンカーとパキスタン人のテキーと3人で、コーヒー農家やカカオ農家の生活向上支援、そして途上国の起業家や中小企業を支援するためにBMP Japanを設立し、11月にはオランダにBMP Internationalを設立しました。

BMPではこれまで、トーゴではカカオの生産指導及びマーケットリンケージ、カメルーンとマダガスカルではコーヒーのサプライチェーン開発、東ティモールではコーヒーのヨーロッパ市場への参入、マダガスカルとトーゴの起業家とマイクロ保険会社へプロボノのコンサルティングなどを行っています。

What's the Bigger Picture?

現在は、自分たちが持っているコア・コンピタンシーを活用しコーヒーとカカオ、そしてコンサルティング事業を進めながら、今後は、さらにソーシャルインパクトが期待できる保険や医療、ロジスティックスなど他業種についても学習しながら、事業の多角化を図ろうとしています。

開発途上国には、医療保険が無いために医療費が払えない家族や、コーヒーやカカオの国際市場価格が下落した際に著しく生活の質が落ちる人々、金融へのアクセスが悪く起業を諦めて路上に毎日座ることしかできない優秀な若者たち、ロジスティックスサービスがないために生活必需品が買えない人々、予防できる病気で死ぬ方々など、防げる悲しみに苦しむ方々がたくさん居ます。

高校生の時に抱いた、漠然とした「途上国の人々に貢献したい」という想いは、10年後の今、
自分の限られた人生を、同じ志を持った方々と一緒に、世界中から防げる悲しみのせいで悲しむ方を無くすことに使いたいという想いに発展しました。

このブログでは、私がこれまで取り組んできたことや現在やっている事、私が考える解決すべき問題、そして近況や共有させて頂きたい情報などについて書く予定です。何か個別にご質問やご意見がある方は、是非下記までご連絡ください。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

永井 亮宇(ながい りょう)
ryo.nagai316@gmail.com